耳とは「小判の端っこ」のことである
まず結論から先に書きましょう。「耳を揃える」とは、実は「小判の端っこを揃える」という意味。
小判を重ね合わせて、その端っこを綺麗に揃えることを意味するのです。
ここで注目したいのは「小判の端を揃えるためには、小判の枚数が一枚では足りない」ということ。
小判を二枚以上重ね合わせることで、はじめて小判の端っこを揃えることができます。
そこで小判の「耳」には、「端っこ」という意味だけではなく「枚数」という意味も加わりました。
実際、浄瑠璃の「傾城酒呑童子」(けいせいしゅてんどうじ)には、こんな表現も登場します。「千両の小判みみがかけてもならぬ(=耳が欠けてもならぬ)」。
この場合の「耳」が、実質的に「枚数」を意味することは明らかでしょう。したがって「耳を揃える」も、実質的には「枚数を不足なく揃える」ことを意味するわけです。
端っこは「耳」
さて、耳=端っこというお話から「食パンの耳」を想像した人もいらっしゃるかもしれませんね。
それ、鋭いです。耳は、小判以外にも様々なものの「端っこ」も表現できるのです。
例えば豆腐。豆腐を四角く整える際に残ってしまう「端っこ」を耳というそうです。
それから製紙工程で切り取られた紙の「端っこ」部分も耳といいます。
このほか織物の「端っこ」部分も耳と言いますし、かつての映画入場券の「端っこ」部分(つまり映画館が保管する半券)にも「耳」という俗称がありました。
このほか、武士がかぶっていた兜(かぶと)の両端にある「吹き返し」と呼ばれる部分にも「耳」という俗称があります。
穴のある部分も「耳」
こうなってくると、耳という言葉が表す「別のもの」も知りたくなってきませんか?
じつは耳には「端っこにあるもの」という意味だけではなくて「穴の空いている部分」という意味もあります。もちろん、耳の穴からの連想で登場した意味です。
例えば、裁縫につかう縫い針。糸を通すために穴が空いていますが、その部分のことを「耳」といいます(ちなみに穴そのものは針穴といいます)。
それから草鞋(わらじ)の側面にある、緒(お)を通すための小さい輪(つまり穴がある部分)のことも「耳」といいます。
そして暖簾(のれん)、羽織、幕、旗などについている、紐や棹(さお)を通すための小さな輪(穴のある部分)のことも「耳」といいます。
以上で登場した「小さな輪」には「乳(ち)」という別名もあります。これは、小さな輪の形状が乳首に似ていることが由来なのだそうです。
そして、耳に似ているものも「耳」
そして耳が意味するものは「端っこ」や「穴のある部分」だけではありません。
あまり「捻り」がないかも知れませんが「耳の形状に似たもの」も耳と呼ぶ場合があります。
まず、鍋などの取っ手を「耳」ということがありますよね。「鍋の耳」という言い方もします。
また泥棒(一部方言では商売人)の符牒では、数字の3を「耳」と呼びます。これも耳の外見が、アラビア数字の3に似ていることからの命名なのだそうです。
このように「耳」は実に様々なものを表現できるキーワードなのです。
ただ「耳を揃える」という表現を聞いた場合は、穴の空いた部分を揃えるのではなく、ましてや耳に似ているものを揃えるのでもなく、実は「端っこを揃える」ことをイメージしているのだと思いだしてください。
お金(紙幣や硬貨)の端っこを揃えるためには「元々あった枚数」も揃える必要があるのです。