商い(あきない)という言葉があります。もちろん「品物を売買すること」を意味する言葉ですね。商いをする人のことは「商人」と呼びます。その商人という熟語なのですが、ふりがなでは「しょうにん」「あきんど」というふた通りの読みをつけることが可能です。この「しょうにん」と「あきんど」の語源はなんだろう?――というのが今回のテーマです。これらの語源には、中国と日本における古代の商業史が刻まれていました。

商の人だから「しょうにん」。ただし異説あり。

まずは商人(しょうにん)の語源から。「しょう」は音読みなので、中国から伝わった読み方となります。ということは、漢字の「商」が辿った歴史を調べると、その出自も分かることになります。

ただしこの出自について諸説が存在します。ここでは通説としてよく知られる話を紹介しましょう。

商(しょう)は、現時点で考古学的に確認可能とされる中国の王朝のうち、最も古い王朝「殷」(いん、紀元前17世紀~同11世紀)の別名です。

そもそも、この王朝を殷と呼ぶべきか、商と呼ぶべきかについて論争があるのですが、本稿ではその話は置いておきましょう。

その商が周(しゅう、紀元前11世紀~同3世紀)に滅ぼされたあと、商の人々の一部が、工芸品の行商となったといいます。

これが中国の商業文化のおこりでした。そこで商人という言葉は「商の人」という意味から「商売する人」という意味に変化して、商が「商売」の意味になった――とされています。

ちなみに異説では、商が殷の別名との見解は同じなのですが、商の本来の意味は「賞」(褒美)で、王朝名の商や、商業的な商は、そこから派生した表現だとしています(参考「字通」白川静、平凡社、1996年)。

「あきんど」の語源は「あきひと」

次は「商人」(あきんど)の語源のお話です。

「あきんど」という言葉は「あきひと」が変化した形だと言われます。まず商(あき)と人(ひと)の複合語である「あきひと」「あきびと」が登場。この発音が変化して「あきんど」となりました。ここまでが平安時代までに起こった話です。

また室町時代に入ると、さらなる発音の変化も起こります。具体的には「あきびと」が「あきうど」「あきゅうど」などと変わったのです。

ただし「あきうど」「あきゅうど」は結局のところ「あきんど」ほど普及しませんでした。そのかわり上方の言葉、文語的な言葉などとして、細々と生き残っていきました。

ともあれここでは「あきんど」の語源は「あき+ひと」であるのだと覚えておいてください。ちなみに「あきなう」の語源も「あき+なう」(なうは接尾語、伴う=ともなう、などと同じ構造)とされます。

つまり商業を意味する「あき」という言葉こそ、注目すべき言葉だというわけです。

秋に盛んになるから「あき」。ただし異説あり。

ではそもそもの話、どうして古い日本語では商売のことを「あき」と称したのでしょうか。――実はこちらの方も諸説存在しており、はっきりとしたことが分かっていません。

もっとも流布している説は「秋(あき)に交易が盛んになるから」というものです。春から夏にかけて育ててきた農産物が、秋に収穫期を迎えることから、この時期に交易が盛んになり、商売のことも「あき」と呼ぶようになった――とする説がよく知られています。

これに対して異説では「間に立つ意味の“あく”が変化した」「双方の満足・充足を意味する“飽く”が変化した」「ありきいとなみ(歩行営)が変化した」とする説などがあります。

「あき」の語源については、どうやら議論百出の状況であるようです(参考「日本国語大辞典」小学館)。

ちなみに「商い」は、商売人にとって「飽きない」行為だから「商い」なのだ――とするお話もよく聞きますが、これはもちろん俗説。ただ俗説だと承知したうえで、そのような教えを心に抱くことは悪い話ではないでしょう。

ということで、今回は「商人」の語源について紹介しました。

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もり・ひろし

新語ウォッチャー。1968年生まれ。電気通信大学卒。CSK総合研究所(現CRI・ミドルウェア)を経て、新語・流行語専門のフリーライターに。辞書・雑誌・ウェブサイトなどでの執筆活動を行う。代表的連載に日経ビジネスオンライン(日経BP社)の「社会を映し出すコトバたち」、現代用語の基礎知識(自由国民社)の「流行観測」欄など。