一連の事件の動機や背景の解析は今後も多種多様な意見が出るのであろうが、ここ最近日本でも無差別な殺傷事件が続発し始めていることは明らかである。
思い返すとこの一連の事件のほぼ最初の事件として記憶されているのが08年に起きた東京秋葉原の無差別襲撃殺傷事件である。25歳の犯人Kが秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込み、ナイフで通行人を次々襲撃した事件である。
7人が死亡、10人が重軽傷を負った最大の通り魔事件である。
加害者Kは進学校での成績低下で人生が終わったと思い、派遣労働者としても孤立を深め、ネットの掲示板に傾倒するが、そこでも次第に居場所をなくしていったと言われている。
そういえば今回の東大校門の受験生襲撃事件の犯人も高校2年生でありながら進学校の成績低下で医学部への進学が閉ざされたと絶望しての犯行というマスコミの報道があった。本当だとするとあまりにも幼い視野狭窄であり、どうしてその様な錯覚した自己嫌悪感に落ち入らせたのかと暗然たる気持ちにさせられるのである。
筆者は「なぜ人を殺してはいけないのか」という人間最大の責務を理念的なもので答えようとは思わない。
人を殺せないのは、殺していけない理由があるからではない。
古今東西、人間は殺してはいけないように育つからである。
「汝、殺すなかれ」と教えられて育つからである。
その様な正当な感情面での成長はどの様な人間関係で育っていったかがその成熟度を左右する。
その発達環境は1960年代から90年代にかけてまず激変していく。子供はそれまで、年齢の高さ低さに関係なく、集団で外遊びに夢中になり、共通感覚を養い、知らない子ども達でもすぐ仲間になる対人能力を身に付けていった。親や教師の押し付けも、親戚のおじさんや近所のおばさんのおせっかいな風穴介入で緩和されていた。教室には勤め人や農家や、商売人や水商売の子供達が混在して、互いの家を行き来して、いろいろな生き方を学んでいた。家族の外にも居場所があり、いつでも自己価値を見つけられた。
しかし、70年代の集合住宅化で地域全体が、80年代でコンビニ化で大家族が、90年代にケータイ化で個人関係全般が空洞化していき、新住民の圧力で道路から子供たちが排除され、公園から遊具が撤去され、校庭もロックアウトされ外遊びは危ないと排除されていった。地域が不信の安全性から親以外の大人との交流が消えた。そうして親と教師と数少ない友人との縦の関係だけが残った。商店や農家の自営業が衰退して同質化した教室には校外での放課後の外遊びが消失して、塾通いで希薄な関係しかなく、実際に出会う大人は、親と教師だけ、親戚すら赤の他人になった。まして近所の大人とは挨拶さえもない。
親の価値観も狭まり、それに閉ざされた子供たちが再生産されていく。往々にして、子は親の果たせぬ夢のダシにされ、進学校に入れとはやされるが、かつてと違ってその価値観の外の幾通りの選択の許容が教えられていない。
地元の公立で優等生だった子も進学校に入れば、大抵は教室で「ただの人」、自分を初めて価値がないと焦る。
かつて共同体であった会社も、人間関係は希薄さを増して、いつでも入れ替え可能な誰でもいい人、あの人でこの部門は持っているという存在感が薄れていく。
背景に30年間拡大されてきた、絶えずクビにおびえる非正規雇用化や、絶えず仲間外れにおびえるSNS化がある。
しかもそれを加速させるグローバル化やテクノロジー化は今後も勢いを増し、「誰でもいい人が」量産されていく。
豊かな感情を育んだ日本のかつての生活社会は生産性が低いと淘汰され、効率化された市場に組み込まれていった流れは食い止めようがない。だからこそ大人達が目の前の子供達にどのように接していくか。親が経験が少なくても多様な大人に接する機会を増やし、様々な映画や音楽などに接する機会を与え、自分の日常とは違う世界があるという想像力を培っていく。絶えず周囲の子らに「人生はいつでもいくらでも違う生き方が出来る。横道にそれても面白くて幸せな人生がたくさんあると」メッセージを伝え続けることこそしか、今の私達個人個人ができることはないと思うのである。