ラクビ―ワールドカップ日本大会の盛り上がりは目を見張るものがあった、にわかラクビーファンが街にあふれ、史上初の8強進出にテレビの視聴率もうなぎ上りであったと聞く。このチームが日本人オンリーではなく、むしろメンバ―31人中16人が様々な国の出身というまさしく混血チームであったということが、強い印象として、国民の目には映ったと思われる。ラクビ―が、外国人をナショナルチームに入れやすい、かなり開かれたスポーツであることを認識させられた。

・出生地が日本

・両親及び祖父母のうち一人が日本出身

・日本に3年以上、継続して居住している

大前提として他国での代表暦がなく、以上の内、一つでもクリアしていれば、日本代表に入る資格があるというのである。つまり純粋日本人のオールジャパンではなく、グローバル、オールスターのナショナルチームなのである。

これだけの世界の人材を呼び込むことが出来れば、体格的にハンディがあるスポーツでも世界のトップクラスに躍り出る事が出来るという、また違った側面を見ることが出来た。そういえば、もうすでに国技の相撲の世界が、外国人出身力士全盛の時代であることに、あらためて気づかされた。

そして最近のNBAバスケットボールの八村塁や100メートル陸上のサニーブラウン、プロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手も、世界で競争する若い力は純粋日本人ではない。

これらのことから、いささか強引であるが、教訓とすることは、これからの日本が本当に世界と伍して競争していく方向性が見えてくる。

残念なことに、にも拘らずラクビ―日本代表が「日本人だけでないと意味がない」とか、「相撲の横綱は日本人であって欲しい」というまだ純血思考の発言が多くみられることである。

同質性社会よりも多様性社会の方が生産性が高いということは、アメリカを見ればよくわかる。シリコンバレーの成功者の大多数が、アメリカ生まれではない。アメリカ人が凄いのではなく、世界から最高の人材が集まるところにアメリカの一番の凄さがある。かつて、日本の人口が増加を続け、高度経済成長を製造業という統制されたシステムの中で世界と競争出来たときは、確かに、同一性が強味であった過去がある。

しかしピークも去って世界で最速のスピードで進む、少子高齢化、人口減少の環境の中で、AIやバイオテクノロジー、ハイテクノロジーの世界で競争する人材は単一性ではなく多様性が求められるのである。

今や、日本は誰でも勉強なんか何もしないでもどこかの大学には入れる、競争のない社会で純日本人社会から、世界レベルで闘える人材が育つはずがない。学問でもスポーツでも、そしてビジネスでも、もはや民族間で競争する時代ではない。今でこそ、まだ世界3位の経済大国というが、あと30年もすればどこまで転がり落ちるかの可能性は大である。

最近よくテレビなどで「日本が世界で素晴らしいところ」とか「何故日本人は世界で愛されるか」という番組が花盛りであるが、これは意外と衰退に向かう局面に出てくる負け惜しみの自己満足の感じがしてならないのであるが、皆さんはどう思われるか。かつて日本が名実ともに、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代には、むしろ謙虚にしていたと記憶している。

こういう番組が受ける根底はむしろ自信が失われつつあるからではないか。こんなことでナショナリズムを満たしても何の生産性もないのである。

社会が不寛容になるときは、ろくなことにならないというのは歴史が証明している。多人種構成のオールジャパンで日の丸が上がる寛容な社会ほど、住みやすく、生産性も高いと、ラクビ―日本代表のモデルが日本の取るべき方向性を指し示したと感じた一か月であった。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。