デジタル化
コロナが呼び起した現象で、特に我が国の社会経済構造の中でのデジタル化の遅れが、強烈な批判を浴びている。 確かに行政の支援金の対応、コロナ関連のデータ集計のおそまつさ、テレワークやリモートワークの有効性、キャッシュレス決済の未発達と、あらゆる分野でのデジタル化のスピードは世界と比べ、もう一周どころの遅れではないことが露呈された。

アナログ的な対応がまだほとんどの分野で残存しているどころか、まだ大いに幅を利かせている。「デジタル化でなくて、何が悪いの?」という国民の大半を占める深層心理が、デジタル推進論者をいらだたせる。デジタル革命がないと日本の経済は世界に見放される。未来の成長と発展はデジタル化を避けてはありえないと主張し、生産性や合理化、効率化の遅れはグローバル競争の中で日本に衰退をもたらすという警告は確かに正論ではある。

しかし、こうもデジタル化を遅くする国民性は何ですか?と本質を探そうとすると、日本の土着文化みたいなものが見えてくる。日本固有の宗教的な伝統文化のDNAが邪魔をするというのはちょっと言いすぎかもしれないが、人間の感性から飛躍するAI化、デジタル化との付き合いの頃合いをまだ見かねているというところだろうか。日本の国民性が進歩に鈍感なわけではない、近代も現代も日本は新しい社会経済や文化をいち早く取り入れ、日本風にアレンジしてむしろそれを発展発達をさせてきた。戦後の脅威的な経済成長も勤勉で、緻密で、改善進歩させていく国民性が様々な分野での物づくり、おもてなし文化の花を開き、国際競争力の原動力になった。今までの過去のテクノロジーの数々のイノベーションも究極は物づくりであり、おもてなしの対面サービスの延長であった。つまるところ、リアル世界である。それがこのデジタル化というイノベーションはバーチャル世界という異次元への飛躍である。すなわち「現実」から「仮想」へ「リアル」から「バーチャル」へという局面に、抵抗というより戸惑いという感覚が年配になるほどまだ顕著である。

欧米は合理的に効率性を追求し個人を主とする契約社会(ゲゼルシャフト)である。基礎となるキリスト教的精神はマックスウェーバーのいうところの資本主義の発達を支えた。アダムスミスの「神の手」は自由な競争こそ市場を豊かにさせると説いた。一神教の世界はそもそもバーチャルである。

日本は多神教、リアルな神である。自然のあらゆるものに神を感じ、そこから得られる生活に日々のお供えと感謝を祭りと行事で人間たちが享受した。あらゆる場所で固有な祭りや行事が数千、数万として今も残り、豊作や豊魚を祝い祈った。神輿を大勢でかつぎ、練り歩き、盆踊りは地域によってそれぞれ個性的で、あらゆる行事を多くの者たちが酒を酌み交わして狂喜した。この密閉した空間での一体感、高揚した感動を共有するライブ感はまさしく得難い、特殊な世界であり、オンラインや無菌室のような快適さを求める、デジタル化では絶対に味わえない瞬間であった。いまそれがことごとく中止を余儀なくされ沈黙を強いられる。この文化は日本人の中に2千年近くのDNAとして確かに生きづいている。そう思うとデジタル化の日本での乗り遅れも悪くはない。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。