観光戦略の「おもてなし」はもう色あせた。
2020の東京オリンピック・パラリンピックに向けた観光立国の戦略は、政府から地方にいたるまで「おもてなし」のスローガン一色であった。しかし肝心の2021年オリパラは無観客で世界から全く観光客を呼べずに、多大な投資をした「おもてなし」プロジェクトは空振りに終わった。

「おもてなし」世界一のニッポンが世界の人々から称賛され、一度は行ってみたい国のトップになることが、2020東京五輪のレガシーの一番になるはずであった。1964年の東京五輪は、新幹線と高速道路という交通インフラとモノづくり日本、というハード面の具体的なレガシーを残し、そこから20年の日本の高度成長の起点となった。

2021年の東京五輪はハード面よりソフトなサービス面の「おもてなしニッポンの観光立国」というレガシーを目指したのである。コロナ禍という思いもしないパンデミックを嘆くより、そもそも「おもてなし」が観光立国になり得たのであろうか?

外国人観光客がはるばる遠い日本にやってくるには、今は円安でお得な背景があるにしろ、大変なお金がかかることは事実である。時間はかなりかかるし、最低でも一週間は仕事も、会社も休まずにはいられない。果たして、自分に置き換えて考えると、はるばる世界に観光で出かけるのに、「おもてなし」を求めて、大金を払ってのこのこ出かけるであろうか。

もう全ての国を見過ぎて、違う酔狂で出かけてくれる、ほんの一部の富裕層は別として、圧倒的多数の外国観光ビギナー客が「おもてなし」に高価な対価を払ってくるのかという、そもそもの疑問である。

もちろん、他にも、気候や自然もいい、歴史や文化も盛りだくさんで四季に恵まれて、食事も旨く、観光資源も豊富であり、さらに「おもてなし」も提供されるというお得感があるというのは誘導効果をもつのかも知れない。だが「おもてなし」がそんなに大事か?大きな選択要因になるかというと世界の有数の観光国を見渡せば自明の理となる。

例えばフランスである。世界のトップクラスの観光大国であるが「おもてなし」が素晴らしいかというとむしろ、「おもてなし」など殆どないというのが実感である。フランス観光庁の一番の反省として「ホスピタリティ」がなさすぎるというのが挙げられているそうである。むしろホスピタリティのレベルの低さは国民性でもあるのか、パリの人々の素っ気なさはヨーロッパ自体でも評判である。しかしそれと対照的な歴史、文化、芸術、美的な建造物、そしてフランス料理に圧倒され、むしろ「おもてなし」など余計なお世話となるのである。

もちろん、観光を推進するほとんどの国々が自国の「ホスピタリティ」を強調しているが、当然の観光アピールである。ただ「ホスピタリティ」と「おもてなし」は同源異義語的なところがあり,主に欧米の「ホスピタリティ」はフレンドリーやカジュアルという心情的な意味合いが強いが「おもてなし」はどちらかというと「礼節、礼儀、フォーマル」という作法的な意味合いが強い。そもそも「おもてなし」の語源が茶道の精神から出発した客人への接待であるので欧米人から見ると,客人というよりは友人として迎えてほしいというのが本音であると思われる。

日本の「おもてなし」は無料であるのが基本であるが、欧米の客人としての接待の対価はチップという有料制である。だから、お店での「おもてなし」にチップがいらないとなると、宿泊や料理の代金の中に含まれていると解釈する。

「おもてなし」の日本的な自画自賛はもうそろそろ、当たり前のこととして、ひっそりと、さりげなくが本来の意味にあってくる。世界に向かって臆面もなく声を張り上げるものでもないことを、逆に2020東京五輪は教えてくれたのではないか。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。