大谷は今季、打者としてリーグ3位の46本塁打を放ち、走っても5位の26盗塁をマークし、投手としてはチーム最多の9勝(2敗)を挙げた。
受賞時の全米テレビ局のインタビューに、二刀流でのMVP選出は想像していたかという質問には「もちろん取りたいと思っていましたけど、日本で最初に(二刀流)でやるとなった時より、アメリカの方が受け入れられる雰囲気があったのでそれは感謝している」と語っていた。
筆者はこの答えに先月のコラムで書いた、ノーベル物理学賞を受賞した真鍋博士の「アメリカの自由に研究できる環境が、私の研究を実らせた」という発言がオーバーラップした。
真鍋博士の時も日本中が「日本人の誇り」だとして沸き立った。今、大谷翔平も日本中が「日本人の誇り」だとして沸き立っている。まあ素直に世界で活躍してくれる日本人を称賛することは喜ばしいことではあるが、残念ながら、お二人の才能が発揮されたのはまぎれもなくアメリカという社会であったということである。
さて、今季はメジャーリーグの歴史にとっても全てが変わった。大谷が大リーグに移籍し二刀流を標榜した時、エンゼルスを含めてどの球団も、投打の両方を許すとは誰も思わなかった。はるか以前からどこも許可してこなかった。
はるか昔に確かに「ベーブルース」というベースボールの最高のレジェンドが投打の両立という伝説を作っていたが、それは今となっては、もう神話の領域になっていた。
リトルリーグで打者4番で投手という才能は珍しくないが、成長して、試合のレベルが上がるにつれて、両方で高い質を維持するのは難しくなり、やがて選択を迫られることになる。
徐々に淘汰されて専門性の方向が決められていく。いわゆる、ダーウィンが唱えた「自然選択」の法則である。
エンゼルスのアート・モレノ球団オーナーとジョン・マドン監督が許した大谷翔平の実験は、投手として100イニング以上を投げ、打者では40本塁打以上を打ち、おまけに25以上の盗塁まで作り出した。まさにアメリカ人のヒーローの誕生である。誰よりも早く走って、盗塁を決め、特大のホームランを打ちまくり、時速160キロの剛速球で強打者を三振させる。しかもいつもさわやかな笑顔で少年少女のファンと気さくに言葉を交わす。野球担当の米国の記者達が「史上最高」「前代未聞」とこのスーパースターをはやし立てるが、大谷はいつものように驚くほど謙虚で無欲にみえることも、感嘆の声がつきない。
彼はフィールドにごみを見つけたら、必ず拾う。折れたバットは、バットボーイに笑顔で手渡しする。大谷はいつだって礼儀正しく、誰にだって分け隔てなく接する。こうした美徳を大谷が育った日本社会の資質だと、主張したがる日本のメディアも多いが、そう言いたい気持ちはわかるが、やはり大谷個人の人間性によるところが大きいのであろう。
もう彼はアメリカでは日本の代表ではない。アジア系アメリカ人の誇りの対象にされていると聞く。今、アジア系の人達に聞くと「大谷翔平は我等異国で暮らす誇り高きアジア人社会の代表格だ」という答えが返ってくるそうである。ドナルド・トランプのいささか人種的偏見によるコロナウイルスの中国の陰謀説を頑なに信じる人々による、アジア系アメリカ人に対するヘイトクライムが激増した年でもあったので、大谷の活躍はアジア系社会のシンボルとなったといえる。
まあそうだとしても今年の大谷フィーバーで特筆すべきは、彼の人種や国籍を気にするアメリカのファンはほとんどいないということである。彼が日本人かどうかは、彼が右投げか左打ちかという程度の問題でしかないとアメリカの識者が答えていた。そこにアメリカの多様性やインクルージョン(包容性)の良さを感じるのは筆者だけではないであろう。大谷はアメリカという場所で開花したまさしく日本人のヒーローという狭い称賛ではなく、アメリカや世界のヒーローであるというインターナショナルな視点が良く似合うのである。
この夏、日本は新型コロナのまん延に苦しめられながらも開催された東京オリンピックの、日本人の金メダル獲得に大いに沸いて、ナショナルな自尊心をくすぐられたが、やはり広い世界で、多様性ある社会を味方にする若い日本人がこれからも大きく活躍してくれることが、本当のオリンピック精神だと、あらためて思う今日この頃である。