皆さん、こんにちは。今回は前回予告しました、【今川家の血】について述べていきたいと思います。 徳川家と今川家の「血」は徳川家康とその最初の正室「築山御前」によって交わります。その子供は長男:松平(岡崎)信康、長女:亀姫(加納御前)の二人になります。それぞれの「血」は松平信康の家系については、小笠原家と本多家へと、また亀姫の家系は奥平家、奥平松平家、大久保家などの譜代大名に継承されていきます。

これらの家は移動(転封)する家もありますが、小倉(北九州)、姫路、宇都宮、小田原などの重要な地域の藩主となっています。井伊家の彦根も同じように戦略上の要地でした。今川家の血を受け継いだ家だけを大切にしていた訳ではないかと思いますが、信用・信頼していたのだと思います。

 

徳川家康にとって、多感な少年時代を人質として過ごした今川家での生活は、人質としての扱いではなく客人として扱われ、「駿府」という都市や分国法で有名な「今川仮名目録」に代表される整備された政治体制などに憧れ、目指すべき理想の形だったのかもしれないですね。

 

そういった想いを踏まえていたのか、ただ単に気候的に生活し易かったのか、それとも北に富士山、南に駿河湾、東に箱根という天然の要害を要した地形を好んだのかは分かりませんが、終の棲家(ついのすみか)として「駿府」を隠居所として選んでいますし、基本的に悪い印象はなかったのだと思います。

 

また、徳川家康は自分が関わった家(今川家、織田家、武田家など)の子孫を「高家」という枠組みで家臣としています。儀式や式典を司ることが主な役割ですが、その「高家」には忠臣蔵で有名な「吉良家」あります。

 

因みに大河ドラマで尾上松也さんが演じている「今川氏真」はこの後、豊臣家が滅びる「大坂夏の陣」が行われた1615年まで生きています。

 

最後に少し皮肉な事柄なのですが、時代が下って幕末に井伊家は大老・井伊直弼を輩出していますが、有名な「桜田門外の変」にて暗殺されます。実は井伊家は当主直弼の死後、佐幕派(幕府擁護)から倒幕派(天皇親政)に鞍替えをするのですが、それが譜代大名の中で一番最初であったことは余り知られていない事実です。