私達が使っている言葉のなかには、江戸時代の商習慣が語源であるものも少なくありません。そんな言葉の中に「ひやかし」や「油を売る」があります。 このふたつの言葉。どちらも“良くない意味”という点で共通しますね。ただ当時の従事者に言わせれば、それなりに「仕方のない事情」があったようで……

江戸のリサイクル紙「浅草紙」

まずは「ひやかし」について分析しましょう。

辞書の「ひやかし」の項目を調べてみると、単に「冷やすこと」とも書いてあるのですが、今回注目したいのは「買う気がないのに売り物を見たり、その値段を尋ねたりすること」という意味の方。

「ひやかしだったら、とっとと帰ってくれ!」の、ひやかしですね。

この意味が登場したきっかけになったのが、江戸時代にあった漉き返し(すきかえし)、今でいう“古紙再生”の商いでした。

江戸時代の初期、浅草・山谷(さんや)には漉き返しの職人が多く集まっていたといいます。

このような職人が作る再生紙は浅草紙(あさくさがみ)とも呼ばれ、ティッシュペーパーやトイレットペーパーの用途に使われていたのだそうです。

ひやかしとは「溶かした紙を冷やすこと」

さて問題は、その漉き返しの工程です。まずは原料となる古紙を細かく加工するところからスタート。この細かくした古紙を、今度は釜の中で煮ることになります。

そうやって得られた紙繊維を、さらに洗ったり叩いたりしたのち(ちなみに彼らの仕事場の近くには隅田川がありました)、最終的に紙漉きをして再生紙が完成するわけです。

このうち「釜で煮た紙繊維を冷やす」工程に、ちょっとした待ち時間が生じてしまいます。

そこで職人たちは待ち時間のあいだ、近所にある吉原に出向いて、張り見世(はりみせ=遊女が顔見せする場所)を眺めては暇をつぶしていました。

もちろん紙繊維が冷えたら、彼らは仕事に戻らなくてはいけません。

職人が「遊ぶ気がないのに遊女を眺めていた」のには、そんな理由がありました。これが「ひやかし」の語源なのです。

油を売るとは「油売りが世間話をすること」

では「油を売る」のほうも分析してみましょう。もちろんこれは「怠けること」「無駄話をすること」という意味ですね。

この語源については、例によって“諸説”が存在します。ここでは日本国語大辞典(小学館)が紹介する3つの説を紹介しましょう。

まずいずれの説も「油売り」が絡む点では共通します。具体的には髪油(かみあぶら=整髪用の油)や、行灯(あんどん=照明道具)用の油を売る人たちのことです。

そのうえで第一の説では「油を別の器に移動する時間がかかる様子」自体が語源だとしています。彼らが売る油は粘度が高いので、移し替えに時間がかかるのです。

また第二には「その移し替えの間、油売りが客相手に世間話をしたこと」が語源とする説もあります。

さらに第三には「歌舞伎役者の副業」が語源との説もあるようです。歌舞伎役者が婦人相手に化粧用油を売り、悠長な商売をしていたことが語源だというのです。

なお以上のうち世間では、第二の説がよく知られています。

江戸の商いの「アイドルタイム」

ということは「ひやかし」も「油を売る」も、商売上やむを得ず発生してしまうアイドルタイム(無駄な時間)が語源だった可能性があるのです。

ひやかしの場合は「紙繊維を冷やす時間」、油を売るの場合は「油を移し替える時間」が必要だった、ということなのです。

特に客商売である油売りの場合、そのアイドルタイムに世間話をすることが(他人からどう見えたかはともかく)重要な接客術だったのでしょう。

いっぽうで漉き返し職人の方は、アイドルタイムがあるからといって、わざわざ遊郭に出かける必要はないようにも思えます。

ただ当時の職人たちは「仕方ねぇじゃねぇか、暇なんだからよ」と言い訳していたかもしれませんね。

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もり・ひろし

新語ウォッチャー。1968年生まれ。電気通信大学卒。CSK総合研究所(現CRI・ミドルウェア)を経て、新語・流行語専門のフリーライターに。辞書・雑誌・ウェブサイトなどでの執筆活動を行う。代表的連載に日経ビジネスオンライン(日経BP社)の「社会を映し出すコトバたち」、現代用語の基礎知識(自由国民社)の「流行観測」欄など。