川崎市で小学生19人が殺傷された痛ましい事件の犯人が中高年の引きこもりによる犯罪であったため、続いておきたこの事件の元事務次官の長男も家庭内暴力の引きこもり中年ということで、センセーショナルに報道された。

殺害される当日に隣の小学校で運動会があり、この騒音がうるさいと長男が腹を立てて、たしなめた父親と口論になったという前提があり、父親が川崎で起こった事件をやりかねないと、人様に危害を加えるくらいなら事前に父親として阻止するには手に掛けるしかないと切羽詰まった上での犯行という内容の報道が主流となった。

事件の社会的状況が連続して起こっているというところに、一つは引きこもりの問題と、子育ての問題と、親の責任論が複合的に絡み合って、いろいろな意見がメディアとネット上でそれこそ飛び交った。

例えばこの週に連続して起こった事件が単独で発生していた場合とこの様に符牒を合わせるように連鎖して起こった場合ではかなり異なる様相を示していたのではないだろうか。

まず、川崎の事件で、自己の引きこもりにマイナス感情を抱く犯人が何故一人で死ねずに、関係ない人間を巻き込んで死ぬのかというこの一見飛躍した衝動である。当然、いわゆるマスコミに登場するコメンテーターというタレント達が、「一人で死んでくれよ」というごく当たり前の世間の反応を代弁する。

これに対して、「下流老人」というベストセラーを出した生活困窮者のNPO代表の藤田孝典氏が「一人で死ね」と突き放さないで欲しいと、さらに突き放されると社会に反抗して次の連鎖を引き起こすと警告した。だがこの底辺の人間を支える現場の意見は、大変なバッシングにあう。「犯罪者を擁護して遺族の気持ちを踏みにじるものだ」とSNSで物言うネットの匿名大衆から袋叩きである。

このすぐ後に元事務次官の長男殺人が起こった。

この殺人の動機は様々で根深い要因を思い起こさせるが、引き金は、この川崎で起こった悲劇とその後の世間の反応が多少なりともあったと思うのである。

長男の暴力にどれだけの切羽つまったものがあったかは定かではないが、この父親は東大卒で、官僚のトップにまで駆け上がった、いわゆる世間でいう超エリートである。かつて起こった狂牛問題でいち早く責任を取って事務次官を辞任した責任感の強い省内でも人望の厚い人物であったらしい。事務次官の頃の写真を見て筆者も思い出せたくらいであるから、存在感も人一倍であったに相違ない。こういう人物が持つ自己責任論はそもそも半端ではないだろう。

この悲劇は世間一般の父親であったら引き起こされずに済んでいたのではないか。いわゆる引きこもりの人間や家庭内暴力の人間がいろいろなことにナーバスになることは何も大変なことではないだろう。むしろ普通の人間としての正常なストレス反応である。

それが本当に外部に対して攻撃を行うこととは、千里以上の隔たりがあるであろう。でもこの父親が背負った世間体というやつは、究極の親の子育て責任論であって、人様や、まして行政に頼ることは論外であったのではないか。父親としての子への最終責任は人様を傷つけないことであり、その前に自分で処理しなければならないという結論であったのではないか。

しかも目前に赤裸々とした川崎の事件がなければ、引き金は引かれなかったのではないかと。 かなりの年配になっても日本社会は強い親子連帯責任を突きつける。もういい加減、親は関係ないだろうとは通用しないのである。最近の親の体罰禁止法は子供は親の所有物ではないという論理であった。が、いまだかつて逆に親の所有物だから何とかしろがまかりとおる世間はやりきれないと個々人では思っていても、全体になると重くのしかかるのである。

嫌な渡世じゃありませんか、渡る世間は鬼ばかりなのですよ、皆さん。

※被害者の方たちのご冥福をお祈りすると共に、ご遺族の皆様には深くお見舞い申し上げます。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。