アフガニスタン
この2週間ほどの間にこの国では3人の人間の報道であふれていた。 世界のニュースが国家や宗教、人種の様々な紛争や対立であふれている時に、個人がこれほど連続してメディアを賑わす時はあまりない。 その一人が元の総理大臣である中曽根康弘氏の101歳の死であり、もう一人が吉野彰氏のノーベル化学賞のストックホルムでの授賞式であり、そしてアフガニスタンで志半ばで銃弾に倒れた、中村哲医師である。

中曽根元首相は何と言ってもその功績は、国鉄、電電公社、専売公社、日本航空の民営化につきる。今でこそそれぞれ、JR、NTT、日本たばこと最大の企業となっているが、明治より続く国営の固い岩盤をすさまじい抵抗に合いながらも、経済の民主化を信念として実現したことである。実行力ある政治家として、歴史に名を残すであろう。政治家の歴史的評価は何を言っていたかではなくて、何を残したかにある。

一方、ノーベル化学賞の吉原彰氏は、学者の世界ではなく、実業の世界の旭化成の研究者として、リチウムイオン電池を開発したことである。これによって、スマートフォンとか電気自動車とかの産業のリノベーションを可能にしたことである。第4次産業革命とか、デジタル革命とか言われるが、理屈としてではなく、実用化の推進の基盤を創造したという功績は歴史の発明家として名を留めるであろう。

このお二人の輝かしい功績とは裏腹に、アフガニスタンで30年もの間黙々と、この激動が続く危険地帯で、かの地の住民の平和と生命のためにまさしく尽くしてきた一人の老医師が何者かのテロに命を落とした。日頃から目立たぬけどこの人の活動は日本でも細々と報道はされていた。

当初は医師として、紛争地帯の救命活動を続け、やがて一人の医師としてだけではなく、この地域の生活全体を救済する社会的な指導者としてこの地に根を下ろし、住民に尊敬され、日本よりむしろ世界で尊敬を集める存在であった。

この人の棺をアフガニスタンのガニ大統領が自らかつぎ、ニューヨークタイムズ紙がその功績をたたえ、国連がその死を悼む。こういう人を持つ国民として我々は誇りに思うだけであるが、中村医師は自らの死を持って、一時的であれにせよ、多くの今までの活動をメディアによって報道されることで、何かの覚醒を多くの人たちに伝えた。普段の行動の積み重ねはあまりにも知られすぎなかった。何年か前に、テロ特措法の参考人招致で国会に呼ばれ、日本の9条が海外の紛争地で働く日本人を守っていると発言した時に、多くの政治家たちはヤジと怒号で彼を罵倒していた。永田町の安全地帯で声高に国を守れという政治家達と、危険な死と隣り合わせの地帯で平和を静かに語る人間の尊厳の違いを、考えさせられたのは、私だけであろうか。

12月9日に衆議院本会で中村医師に対して、議員全員が黙とうをささげたことはせめてもの救いであった。

「100発の銃弾より、一本の用水路のほうが、治安回復に役立つ。WARではなくWATERなのである」 中村哲

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。