映画ファンである筆者も数日前にそろそろ人出も少なくなったろうと思い映画館に出かけた。
平日にも拘わらず、一日を通して12回上映されていたのも驚きであるが、夜は30分おきに9時の最終上映までショッピングモールのシネコンで各スクリーンを独占していたことに驚いた。しかも8時台上映ですでに動員観客2000万人を超えているにもかかわらず、観客が同スクリーンに2、30人いるのである。
筆者の最初の見終わった感想としては、なぜこれほどこの映画は受けるのかなという単純な疑問であった。
日本アニメは今までの歴代2位までの「千と千尋の神隠し」宮崎駿監督作品と新海誠監督作品「君の名は」の両方を当然見ているが、作品の持つ完成度はこの両前作には及ばないというのが筆者の率直な感想である。なぜこんなに当たるのか理由がわからない。映画の内容の細かい描写は荒唐無稽な妖怪物語としては、スピードとアクション、恐怖と残虐性による、不条理の連鎖など、また各キャストのセリフには観客の心を揺さぶるようなメッセージが重なり合うように発せられて、十分な手ごたえは確かにある。まあそれぞれの感受性や想像力の次元での相違性であるのであくまで筆者の個人的な思い込みとして読んでいただきたいが、この作品が今若者世代を中心としてなぜここまで受ける社会現象になったかということのほうがおもしろいと感じられたのである。
もちろん、前提として週刊少年ジャンプ連載漫画として、広く熱心な読者に読まれ、テレビアニメ版も深夜帯の放送で人気が沸騰していたという既に、多くの膨大な固定ファンがいたという状況設定がある。
だから劇場版も走る列車内での強烈な恐ろしい敵との死闘というプロットは良く、過去にもよく用いられているスリルアクションの定番である。確かに前後の経緯やそれぞれのアクターの成り立ちは既存の読者にとっては承知のことである。初めての観客は一連のシリーズの中から途中だけ切り出されてたストーリーなので上映2時間は、はてな?が多いが、映画としての完結性がなくても読者層だけでの動員で十分なヒットを稼げるのであるから、制作意図としてはあえて細かい説明は無視したのであろう。ゆえに、この空前絶後のヒットを映画スタッフ一同がむしろ驚いていることであろう。
新型コロナの拡大真最中の中で何故人々は劇場に足を向けたか。
見えない強力なウイルスとの戦いの中で人々は距離を保ち自粛を要請され既に長い時間がたっていて、日常にいろいろな刺激もなく、何か自分を活性化する希望とかエンターテイメントとかを渇望していた。普段の家族との距離も友人との距離も、時には分断され、なんとなく無策な政治リーダー達へのイライラもつのり、多くのマスコミ報道も何か信じられないもやもや感や閉塞感があり、それを解き放つ手ごたえあるもの、夢中になれる空間を待ちこがれていた。
春に緊急事態宣言で映画館は休館させられ、再開後も席数制限、やっと制限が解除されたのは9月19日、どうやら映画館での感染はなさそうだというタイミング、映画を見れないという不満が解除されてそろそろ行こうというタイミングで話題作「鬼滅」が公開。
初回から映画館も低迷挽回のため、話題作には早めに観客取り込もうとシネコンが競って上映回数を増やし、中には20回以上が大半となって宣伝効果抜群で人が人を呼ぶ連鎖効果。
映画の内容がコロナウイルスこそ、それは現代の鬼だという類推。見えなく、絶えず衰えることなく、忍び寄り人の命、それは家族の平穏を奪うウイルスとの戦いはまるでこの映画のよう。
立ち向かうヒーロー(鬼殺隊)は死をも恐れず、人々を、家族を必死に守るために戦う医療関係者に投影され、絶望的な戦いで強烈に人々を守るリーダー像(政治家)「煉獄杏寿郎」の出現に期待感。
家族が惨殺され、そこから唯一残った妹救出のために立ち上がる炭次郎の家族愛にコロナ禍の家族愛がだぶる。
そして全編を覆う残酷と過激と恐怖が観客を固まらせる。
まさにコロナ禍社会に現れた興奮剤としての役割が異様な社会現象を増幅させたと思えるのである。この不可視、不透明な社会状況がこの映画に実力の何倍もの価値をもたらせたと。
如何でしょう。見てないお方も乗り遅れないように。この新しい現象に乗り遅れたくないという人間の社会行動が一番のこの映画のヒットの原動力なのでしょう。