「卑怯なことや言い訳、嘘は決して許さない方でした。(人間は実れば垂れる稲穂と同じだ。偉くなればなるほど、頭を下げろ。そんな背中を見て、部下はついてくるのだ)と言われ続けました。」
と京セラの元副会長の前田氏がこう語っていた。
「この世に生かされている意味とは自分の魂を磨き続けろということだ。」
「人間に与えられている能力は未来に限りなく伸びていく可能性を誰もが持たされている」
数々の名言を残してきた稲盛氏はその言葉通り最後まで前を向き背を伸ばして生き続けてきた。
京セラ時代から、経営の指針として、「損得で動くな、善悪で動け」という「フィロソフィ」を掲げていた。
第二電電(現在のKDDI)を創業したとき、発起人として大きく株を所有していたが、上場前にそれを返してしまって、上場後の初値が1株550万という初値からして数億のお金が入るのを分かっていたにもかかわらず、損得に惑わされないということを身をもって示したというエピソードは有名である。第二電電設立の大義名分が当時の電電公社(現在のNTT)の通信独占形態からの競争による民主化であったから、損得で動いているという世間のやっかみを事前に断ったのである。
稲盛氏の功績について語るとき、忘れてはいけない要因がある。
彼がどんなときにも決してやらなかったことが多くの部下の証言で明らかにされている。それは何が起きたとしても「他人のせいにはしなかったこと」である。
「京セラ時代に事業部長から新規事業に関する稟議書が上ってきました。しかしこの部長は過去にも何度も新規事業を提案して、失敗におわることが多かったのでその時稲盛氏の秘書を長年務めJALでも専務執行役員を務めた部下が、「今回は思いとどまるように進言した時にこう言われたという(お前は経営がまったくわかっていない。欺かれても社員を信じるのが経営者なのだ)と厳しく叱責されたそうである。いざというときは自分が責任をとる。何度も失敗しているから駄目だというと、二度と社員は失敗を恐れて誰も提案してこなくなる。それこそ会社にとって一番の損失だと説かれたそうである」
またJAL時代のエピソードとして2010年に会長に就任してすぐに加盟するアライアンス(航空会社の提携グループ)の契約見直しがあって、当時JALはアメリカン航空を盟主とするワンワールドアライアンスの傘下であったが、JALの再建のために多額の資金提供を行うという条件でスカイチームというアライアンスのトップだったデルタ航空が提携を求めてきた。スカイチームは路線数も多く、当時のJALの幹部は資金提供のデルタ航空に乗り換えようというものが多数派であったが、稲盛氏は「目先の損得ではデルタと組むのがいいのだろうがアメリカン航空には長年お世話になってきている。より、アメリカン航空との絆を強めようと、責任は俺が持つと話されてワンワールドの残留を決めたのである。かなりの反発であったそうであるが、結果としてアメリカン航空は提携を強化して、いろいろなプログラムを提供してくれたとのことで、その成果と稲盛イムズの社内への浸透により2012年に顧客満足度で首位に選ばれている。
JALの再建時にはグループ全体で1万6千人のリストラが稲盛氏が会長に懇願されて就任する前にすでに企業再生支援機構によって決定されていた。稲盛氏の従業員の幸せを第一とする経営哲学からすると、その決行は断腸の思いであったそうであるが、稲盛氏は多くの批判を浴びながらも前から押し付けられているという言い訳を決して口にせず自らが決定したかのように批判の矢面に立ち続けていた。JALの再建にかかわるすべての責任は自分が引き受けるとして決して逃げない姿勢が多くのJAL職員の共感に繋がっていったのである。
稲盛氏は部下に対しても細かい数字を頭に入れて経営を自分事として捉えさせることを徹底した。「アメーバ経営」として知られるこの手法は、彼が関係した企業で根付いている。部下にも会社の経営を自分の問題として考えさせた結果、稲盛氏は数多くの後継の経営者を育ててきたといえる。
今年の7月に大規模な通信障害を起こしたKDDIの高橋社長は京セラから第二電電に移った創業メンバーであるが、障害が起きたことに対する謝罪会見では高橋氏が責任を棚上げすることなく話そうとうとする姿勢が高く評価されている。さすが稲盛和夫の弟子だとする評判であった。
巨星堕つに合掌である。