かつては社会資本が地方で手薄だったので、「いかに新幹線を地方に誘致するか」が、地方の行政と住民の夢であった。しかし、それで本当に地方が活性化されたのであろうか。答えはすでに見えている。
新幹線が開発されてからすでに半世紀が経った。その間にも日本全国で空港や高速道路といった多様な高速移動手段が整備され、半世紀前よりも新幹線の優位性はとっくに低下しており、さらにインターネットの存在も加味すると、職場や居住地域の選択、仕事や観光の行動、商圏のあり方などもますます多様になってきている。すでに地方での新幹線として、東北新幹線、上越新幹線などが開通しているが、これらの新幹線は本当に地方を再生してきたであろうか?
データをみると1982年開通の上越新幹線の開通前後の5年を見ると新潟県の県内の人口増加率は低下、県民生産の増加率も低下しており、近年ではマイナスに転じて加速している。1997年開通の長野新幹線の開通前後をみると当初の5年は人口こそ2万1000人増えたものの約4600件の事業所が減少、従業員数は約3万人が減少、その後2002年以降には人口も減少に転じ、その減少幅は全国平均より大きくなっている。
短期的に見ると初期の誘致効果が出ることもあるが、長期的にかつ広域でみれば長野の例は全国共通であり、確実に地域外に都市機能が吸い取られている。いわゆるストロー効果というやつで、新幹線の開通で地元事業所などが閉鎖され、事務所も人も大都市に流出されていくのである。石川県も実際に、北陸新幹線によるこうした「ストロー効果」を「年間27億円のマイナス」と試算している。
もう一つは新幹線開通で地域内の公共交通が廃れていくという厳しい現実である。新幹線が出来ると都市間移動は目にみえて便利となるが、反面地元の公共交通が不便になっていく。新幹線と並行していた在来線は赤字で第3セクター方式で切り離され、地方が負担するようになり、ますます高コストで誰にも使われず、不便さにより人が逃げていく。新幹線利用で日帰りで仕事や観光は終わり、宿泊や外食の需要もみるみる剥されていく。
当初新幹線の主要駅に駅ビル開発が軒並み行われたが、その際に出店するテナントは東京大阪資本の百貨店や大型チェーンストアの企業ばかりで、大都市資本の地方進出は結局利益の本社吸い取りであり、まさしく経済のストロー効果まで大都市に吸い取られるのである。
駅前再開発がどこの都市もステレオタイプで同じような風景を作りだし地方都市の景観の個性的魅力を、捨て去っていった。スピードを求め、効率と合理性を求めた結果、地方でのゆったりした時間と生活が奪われ、伝統産業が廃れ、大都市中心の経営手法が要求され、まさしく人間性ある地方の魅力が後退していったのである。
たしかに新幹線は北海道から九州までをカバーする広大なネットワークを構築し、鉄道を近代的な姿に変えた。今は新幹線が2時間30分で結ぶ東京と大阪の間をかつて在来線の特急は6時間かけて走っていた。新幹線なら3時間で到着する東京~青森間を在来線の特急は8時間20分かけて走っていた。もしも新幹線が生まれていなかったら、鉄道が完全に時代遅れの乗り物になっていた可能性は高い。
その最初の東海道新幹線の生みの親である、第4代国鉄総裁十河信二は71歳という高齢で新幹線事業を決断した気骨ある人物として知られるが、この新幹線の父と呼ばれる人物が東海道新幹線開業直後に語っていた言葉が思い起こされる。
「新幹線を東京と大阪の間以外の所に作ったら大変なことになる」