皆さん、あけましておめでとうございます。新たな年をどんな場所で迎えましたか。私は毎年元日に近所の山(不動尊)に登って、初日の出を見ることを年中行事としています。「継続は力なり」と言いますので、これからも続けていきたいと考えています。

さて、新年1回目は昨年末に天皇のご退位と皇太子のご即位の日程が発表されまして、今上天皇が『太上天皇、略して「上皇」』になられるので、この「上皇」について述べていきたいと思います。

 

上皇とは、譲位により皇位を後継者に譲った天皇の尊称であり、由来は中国の皇帝が位を退くと「太上皇」と尊称されたことにあるとされています。また出家した「上皇」は「太上法皇(法皇)」と称しました。
天皇家の歴史において、最初の上皇は「持統(じとう)天皇(697年)」であり、最後の上皇は「光格(こうかく)天皇(1817年)」になります。今回、今上天皇が上皇になるのは実に300年ぶりになります。

 

皆さんが持統天皇と聞いて思い浮かぶのは中学校や高校の国語(古典)の授業で習った『万葉集』の歌人としてではないでしょうか。その歌は「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣干したり 天香具山」(現代訳:春が過ぎて夏がやって来たようです。真っ白な衣が干してありますね。天の香具山に)です。

 

持統天皇は大化の改新で有名な中大兄皇子<天智(てんち)天皇>の娘で、叔父の大海人皇子<天武(てんむ)天皇>の皇后になり、後に第41代天皇の即位した女性です。女帝としては3人目になります。同時代には万葉集や宮廷歌人で有名な六歌仙の一人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)がいます。持統天皇は人麻呂に天皇を賛仰する歌を作らせています。その歌が「大君(おおきみ)は神にしませば天雲の雷の上に廬(いほり)せるかも」(現代訳:大君は神であらせられるので、天雲の雷の上に仮宮を造られたのであるな)です。戦前まで天皇は神様でしたね。孫の軽皇子<文武(もんむ)天皇>に譲位して初の上皇となりました。

 

ここで皆さんが「上皇」と聞いて何人かの人物が思い浮かぶかと思います。私が予想して列挙してみますと、白河(しらかわ)、鳥羽(とば)、崇徳(すとく)、後白河(ごしらかわ)、後鳥羽(ごとば)と言った方々が挙がっているのではないかと思います。

 

この中で後白河上皇(法皇)(以後「後白河院」)について述べたいと思います。後白河院は弟の近衛天皇の崩御後に天皇に即位します。在位約3年間で、子供の二条天皇に譲位します。後白河院の治世については、またの機会にお伝えしようと思いますが、後白河院は『平家物語』によると「今様(いまよう)狂い」と称されるほどの遊び人で、熱中し過ぎて喉を傷めてしまったらしいです。そんな後白河院を同母兄の崇徳上皇は、「文にあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と酷評する程の人物だったようです。因みに「今様」とは日本の歌曲の一形式。「現代風、現代的」という意味であり、当時の「現代流行歌」という意味になります。この「今様狂い」が興じて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』という歌謡集を編纂しています。後白河院は文化的にも政治的にも日本史にその名前を残した平安末期から鎌倉初期を代表する人物です。