「金」や「銀」から連想された言葉たち
お金を表す古い語彙の中には「金」や「銀」から連想された言葉がいくつか存在します。
このうち有名な表現は「金子」(きんす)ではないでしょうか。本来は「金貨」を意味する言葉ですが、転じて、お金一般を意味する言葉としても使われます。
例えば「金子を持参する」「金子を受け取る」などの言い方がありますね。これと似た表現に「銀子」(ぎんす)もあります。こちらも本来は「銀貨」を意味する言葉ですが、転じて、お金一般を意味します。
明治時代には「金円」(きんえん)という言葉も使われていたようです。福沢諭吉の「学問の独立」(1883年)には「いたずらに金円を浪費乱用するというには非(あら)ざれども」という表現も登場しました。
また「金員」(きんいん)もお金を意味する言葉。やはり明治時代に使われていた言葉でした。
変わったところでは「黄白」(こうはく)という言葉もお金を意味します。黄が金、白が銀を意味するため、黄白で金銀の意味になり、転じてお金一般を表すのだそうです。
こちらは少なくとも江戸時代には登場していた表現でした。
貨幣の「丸い形」から連想された言葉たち
いっぽう、身近なお金である貨幣の形、とりわけ「丸い貨幣」からの連想で登場した言葉もいくつかあります。
代表的なのは、江戸時代に使われていた「丸」(まる)や「丸物」(まるもの)でしょう。歌舞伎の演目「隅田川続俤((すみだがわごにちのおもかげ)」にも「イヤモウ〇(まる)になることならなんなりと相談に来ることさ」という表現が登場します。
面白い連想から成り立っているのが「鳥目」(ちょうもく)。文字的には「鳥の眼」を表す言葉です。
これがどうしてお金を意味するのかというと「昔の硬貨の見た目」が、鳥の目に似ていたためなのです。
つまり「丸い貨幣の中央に穴があいた形」が、鳥の目に似ていたということなのです。このような表現は室町時代のころには登場していました。
実はこの「鳥目」という言葉は、中国からやってきた「鵝眼」(ががん)または「鵝眼銭」(ががんせん)という言葉からの着想で誕生したと言われています。
鵝眼は「ガチョウの目」のことです。日本国語大辞典はこの言葉について「円形の中に四角の穴のあいている銭の形状が、鵝鳥(がちょう)の目がまるくて、その瞳の四角なさまに、似ているところから」と説明していました。
筆者は実際のガチョウの瞳が四角いかどうかを知りませんが、とにかく、そのような連想で「鵝眼」「鳥目」は金銭を表すようになったわけですね。
遠回しな言い方から登場した言葉たち
最後に、遠回しな言い方――つまり婉曲――により登場した言葉を紹介しておきましょう。
まず紹介したいのは「阿堵物」(あとぶつ)や「あとの物」といった表現です。少なくとも室町時代には登場していた表現でした。直接的な意味は「このもの」「こんなもの」。
もともとは中国の六朝時代(222年~589年)に登場した言葉だといいます。
西晋(せいしん)の武将・王衍(おうえん)が金銭を直接的に表現するのを嫌い、「このもの」「こんなもの」と表現したのがそもそもの始まりでした。
もう少しわかりやすい婉曲表現には「要脚・用脚」(ようきゃく)というものもあります。
これも、少なくとも室町時代には登場していた表現。直接的な意味は「世間をまわり歩くもの」で、転じて「金銭」を意味しています。
ちなみに現代でもよく使われる「御足」(おあし)という表現――実はこれも室町時代には登場した表現です――も「お金は足が生えているように行ったり来たりする」「お金は天下のまわりものである」というイメージを持っています。
昔も今も、お金のイメージにそんなに大きな違いが感じられないところが面白いですネ。
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