今回も引き続き、8月の歴史的な出来事とその人物について述べていきたいと思います。今回皆さんに知って貰いたい人物は「東洋のシンドラー」と呼ばれた『杉原千畝(すぎはら ちうね)』です。
今から32年前の昭和61年7月31日に86歳で亡くなりました。杉原についてはドラマや書籍にもなっていますので良くご存じの方も多くいらっしゃることと思います。
杉原は昭和14年11月、リトアニアの当時の首都・カウナスの日本領事館で領事代理という役職で働いていました。
この昭和14年という年は世界的には、後に日本も参戦し、最終的には無条件降伏する「第二次世界大戦」が勃発した年であり、日本的にはソ連軍と関東軍(日本陸軍)が衝突し、関東軍が壊滅的な敗北をする「ノモンハン事件」が起こった年です。
皆さんもご存じの通り、ドイツの指導者であるアドルフ・ヒトラーはヨーロッパ各地でユダヤ人への迫害を行っていましたので、ドイツに占領されたポーランドから多くのユダヤ人がリトアニアに逃亡してきていました。
当時の日本の方針は、日独伊三国同盟を締結しているので、同盟国であるドイツが推進する「反ユダヤ主義」に協力するよう要請を受けていました。
日本はユダヤ人への迫害に協力することは避け、中立の立場に立っていました。その為、無条件でビザは発行されず、大変高いハードルが設定されていました。
昭和15年7月27日、杉原が執務中の領事館の周りが俄かに騒がしくなります。窓の外を見るとものすごい数の人が集まっていました。
これは日本領事館に行けばビザが貰えると噂を聞きつけて集まったユダヤ人難民たちでした。
「どうかビザを発行して欲しい」という強く熱いまなざしを目の当たりにした杉原は「何とかしてあげたい」と思うのですが、外交官としての立場があり、簡単ではありませんでした。
国及び外務省の方針はビザの発行は絶対不可であることは外交官として理解していたはずですが、人間としてこの状況を見過ごすことが出来ない杉原は、2回、3回と外務省に発行の許可願いを出します。
しかし結果は全て却下。悩みに悩んだ末、昭和15年8月1日早朝、杉原は日本の通過ビザの発行を開始しました。
外交官(官僚・国家主義)である前に人間としての意思や行動(人道・博愛第一主義)を示したのです。当時はコピー機やパソコンなど無いので全てが手書きでした。
1日に発行出来るビザが200通だったらしい中で、領事館を閉鎖してベルリンに旅立つまでの28日間ビザを発行し続けて、合計6,000人分のビザを発行します。
その後、カウナスに残ったユダヤ人は全て殺されたとも言われていますので、まさに「命のビザ」でした。
終戦後の昭和22年に杉原は当然のように、国の方針に反したとして外務省を解雇されています(杉原本人やご家族はそう捉えています)。
亡くなる1年前の昭和60年、イスラエル政府からイスラエル建国に尽力した外国人に与えられる『諸国民の中の正義の人賞』を日本人初で授与されました。現在でも日本人で唯一の受賞者です。
また、領事館のあった通りは「スギハラ通り」と名付けられています。出身地である岐阜県加茂郡八百津町には「杉原千畝記念館」がありますので、ご興味があれば訪ねてみると良いかも知れないですね。
最後に、杉原によって助けられた6,000人のユダヤ人が現在どの位の人数になっているか想像がつきますか?現在その人数は10万人となっていると言われます。
世界中のユダヤ人総数が1,423万人と言われていますので0.7%となります。
一人の人間が「人間として正しいと思うこと」を信念と覚悟を持って行った行動が現在の10万人に繋がっていると考えると「命」の大切を感じます。
さらに色々なところで、ユダヤ人は世界経済を支配し、動かしていると言われています。
その証拠に世界中の主要な企業は実際ユダヤ人が経営していることを考えると「命のビザ」は現在の世界を作っているとも言えます。
具体的な企業としてはマイクロソフト、デル、インテル、フェイスブック、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、ロイター通信、ブルームバーグ、GAP、H&M、スターバックス、エクソンモービル、トイザラス、マックスファクター等々、挙げたらキリがないほど有名企業ばかりになりますね。
平成3年10月、ソ連崩壊を受けてリトアニアとの国交樹立に合わせて、当時の外務政務次官・鈴木宗男議員の尽力により、名誉回復活動が行われて、平成12年当時の外務大臣・河野洋平議員の演説によって、日本政府による公式に名誉が回復されるまで、死後14年目、生誕100年もの時間がかかりました。
私的には今からでもノーベル平和賞を授与することや、世界がその行動や意思を認めているのですから亡くなってはいますが、国民栄誉賞や叙勲も考えるべきなのではないかと思いますね。
まだ私たちの知らない世界では尊敬されていたり、成功している方々が数多くいらっしゃることと思います。そういった方にスポットライトを当てて、今後も述べていきたいなと思っています。