沖縄県平和祈念公園
昭和史に光を当てたノンフィクション作家で、ジャーナリストの半藤一利さんが1月12日亡くなった。90歳であった。 翌日の13日午前の加藤官房長官の記者会見で珍しく、半藤一利さんを悼んだ「大変、残念だ。昭和の歴史を検証し、一般の人々に分かり易い形で後世に伝えていくことに尽力し、自らも歴史に残る功績を残した。心からのご冥福をお祈りしたい」と述べ、弔意を示した。最近の政治家は、歴史を勉強しなさすぎるという巷の風評が多い中で、加藤勝信官房長官としては、半藤さんの書物は読んでいますと、教養もありますよと、日頃のコロナ追及の会見疲れから、多少の面目躍如といったところであった。

「文芸春秋」の編集長を長く務めた保守の論客であるが、「反戦」の固い意志も明確に打ち出した、気骨ある信念のジャーナリストであった。昨今は政治家のプリンシプルの劣化だけではなく、マスコミ人間のジャーナリズム性の劣化も言われる中で、歴史の警世の宣教師をまた日本人は失ったといえる。

半藤さんは「文芸春秋」の若い編集者の時代に、昭和の知の巨人ともいえる二人の作家の担当者として大きな影響を受けている。一人は歴史時代小説の司馬遼太郎であり、もう一人は社会派推理小説の松本清張である。この二人に共通するのは旺盛な学習、研究力であり歴史と人物への深い考察力である。

司馬遼太郎の「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」「坂の上の雲」で主人公の土方歳三、坂本龍馬そして秋山好古が今でもベストセラーとして読み継がれる。もう没後25年でもあるが、司馬遼太郎が根底に据えた「日本人とは何か」という洞察が、色あせることなく、死してなお、今でも歴史小説の第一人者である。

また松本清張はもう没後約30年となるが、今だかつてテレビや映画で何度もドラマが清張シリーズとしてリメイクされており、まぎれもなく、小説のドラマ化数歴代一位である。推理小説のジャンルを超えて、社会の底辺の人々の哀歓や時には腐敗した権力の不条理を暴きだした多くの作品が今だ、本屋の本棚の中央に置かれている。最近の推理小説の人気作家の東野圭吾や宮部みゆきもその重厚さではかなわないと思うのである。

その様な昭和の偉大な先達におおいに影響を受けた半藤さんは歴史の事実を丁寧に調査して、いろいろな角度から関係者のインタビューを重ね、まさしく自称『歴史探偵』というような正確な事実を積み上げることによって問題の本質をあぶりだしている。

何故日本はあの無謀な太平洋戦争に突入したのか。そこでの軍人は、組織を守るためにしか動かず、組織の論理のみに従い、最後は多くの国民の命を消耗品のように扱い、決して自立して戦争を終結することが出来なかったことをえぐりだし、その官僚的なDNAは今でも日本の政府や官僚にリスク時代に顔をだすと警告している。このコロナ時代に同じ様な光景がダブるのである。以前から「歴史から何も学ぼうとしない日本人」を危惧していた半藤さんであるが、2年前の、ある週刊誌のインタビューでこう答えていた。

「太平洋戦争から74年。昭和から平成へと、曲がりなりにも日本は平和をたもってきたが令和の世はどうなるのでしょうね」と記者が聞くと、半藤さんは

「この前、3か月だけ女子大で戦前、戦後の講義をしたのです。その時アンケートを取ります、と4択問題を出しました。

『太平洋戦争において、日本と戦争をしなかった国は?』
①アメリカ ②ドイツ ③旧ソ連 ④オーストラリア

そうしたら50人中、実に13人がアメリカと答えた。

「僕の授業を聞いたのに、君たち13人はふざけているのかね?」と聞いたら、大真面目でアメリカと戦争してるとは思わなかったと。しかもその一人が手を挙げてこう言った。

「で、どっちが勝ったんですか?」

こうやって話してると。笑い話のように聞こえるが、決して笑い話などではない。これからくる令和というのはこの様な時代なんでしょう。と寂しく答えたそうである。

無知であることが罪や仇になる、もう戦後ではなく、戦前に入っていることを思い知らされるようなエピソードである。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。