ワクチン
未だ、収束がいつ頃になるか、一向に見通せないコロナ禍であるが、この1年のコロナ騒動でいろいろなことが、暴きだされてきた。平穏時には隠れて見えぬ、本当の実力が、白日の下に照らされるのはいつも非常時にである。 全人類が同時に同じ災禍に見舞われるのは、別に珍しいことではない。人類史上何度となく、世界大戦やウイルス細菌のパンデミックが世界的規模で、数年にわたって巨大な災難をもたらしたことは、何度も経験してきている。 そこでいやでも浮かびあがるのは、それぞれの国々の災禍に対する対応の善し悪しであり、得手、不得手である。

日本は当初、社会規範の強さに裏打された衛生意識の高さ、国民皆保険制度や保健所組織などの社会インフラの充実もあって、初期段階では感染者数を抑え込んだ。今でも、感染者数や死亡者数は国際比較では確かに、低い水準ではある。

一方、感染症が問題になってから、1年以上たってもなお、コロナ病床のひっ迫に根本的な対策はなおざりにされたままであり、有効な抜本策が強力に実行されたという政策は聞いたこともない。自宅療養を余儀なくされて憤死した人々が毎日のように報じられた。

また、早くからワクチン接種が予定されていながら、世界から圧倒的に遅れて開始され、接種が始まっても、接種を担う人材の確保や、会場の確保が、それこそ泥縄式にあわてて、日替わりで対策が後追いする光景を見せられている。

そもそも、感染が深刻な国からの入国制限や、入国後の管理体制についても、変異ウイルス感染多発の後追いで後手後手に対応してきている。

対照的なのがアメリカである。当初はコロナを見くびって、トランプ大統領は無策のまま放置して大きな被害が広まった。しかし、ひとたび緊急性にスイッチが入ると、圧倒的な開発、生産に巨額な費用と人員を集中的に投入して、兵站の能力に物を言わせて、ワクチンを早期に大量投入して、バイデン大統領の政策も相まって、ゲームチェンジを果たしつつある。まるで、先の大戦の経過を見せられているようで、日本人にとっては75年たっても変わらない、遂次投入、精神性に頼る非科学性の指導部を日本軍「失敗の本質」のDNAを連想させられるのである。

イギリスも同じである。昨年4月には感染爆発でジョンソン首相までもが生死の境にたったが、ぎりぎりで態勢を立て直し、今や世界最速のワクチン接種展開で、経済正常化にあと一歩のところまで来ている。

両国に共通するのは、当初の劣勢を立て直す戦略の構築力と、その戦略を迅速に実行する能力である。それを支えるのが国のリーダーの自覚であり、自分たちが選んだリーダーに国を託す民主主義が生きる国民の覚悟を改めて感じるのである。

そもそも欧米の大陸の狩猟民族的DNAと日本の島国の農耕民族的DNAの違いといってしまえばおしまいであるが狩猟民族のDNAは強いリーダーといつも最大の危機に対処する能力を準備しているということである。、想定外の出来事は考えないことにする農耕民族のDNAは強いリーダーは必要とせず、従って、組織のトップにはリーダーはいらないという、和のDNAである。

我が国では、政府や自治体の対応への国民の不満や不信感はコロナ禍を契機に今や爆発寸前であるが「政府が悪い」「政治家がダメだ」といってるだけでは何も変わらない。そもそも「日本人はお上(国家権力)に従順」であるという国際的な評価があるが、私はそうとも思えない。当初の日本の成功はこの従順に従う国民気質が原因と評価されたが、国の政策のオリンピックに反対、延期の世論調査が80%という一面をイギリスの新聞が驚きをもって報じていた。権力に従順なわけではない。むしろ「周りの空気に従順」なのである。そう農耕民族の最大のDNAは多数の人々の意見に従うのである。 民主主義国家なら、単に選挙権を有することだけではなく、その権利に値する政治が行われるように国民一人一人が行動しなければならない。「日本人は与えられた民主主義なので、本当の民主主義の価値がわかっていない」という言葉が今まさに香港、台湾、ミャンマーで民主主義のために戦う市民から叱咤される声が聞こえそうである。

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飯塚良治 (いいづかりょうじ)

株式会社アセットリード取締役会長。 オリックス信託銀行(現オリックス銀行)元常務。投資用不動産ローンのパイオニア。現在、数社のコンサルタント顧問と社員のビジネス教育・教養セミナー講師として活躍中。