皆さん、こんにちは。3月に入り、敏感な方はもう花粉症に日々悩まされているかと思います。私も以前はかなり酷い花粉症でしたが、内科の医師から漢方薬を勧められて体質が変わったのか分かりませんが、今は症状としては余り感じないくらいです。皆さんもそれぞれの方法でこの時期を乗り切っていきましょう。

さて今回は、今年の1月から始まった大河ドラマ「西郷どん」のある登場人物について述べていきたいと思います。その人物とは西郷隆盛の人気とは対極にある人、「大久保利通」です。

皆さんの多くの方の大久保のイメージは「冷徹非情」というものではないでしょうか。このイメージの根源は、幼馴染で親友の西郷を西南戦争で自害に追い込んだからではないかと皆さんも考えているでしょうね。

年齢が2つ違いの二人は、同じ郷中(今で言う町内会)で日々勉学や剣術に切磋琢磨し、いつか藩政に関われるような人間になろうと考えていたと思います。

先に藩政に大きく関わるようになったのは、西郷でした。薩摩藩第11代藩主島津斉彬(しまづなりあきら)に見出され、御庭方役として斉彬の手足となって働きます。しかし斉彬は藩主になって7年で急死します。斉彬は幕末の「四賢候」と呼ばれ、この時代をリードする人物でした。

薩摩藩士、特に革新的な者や若手の落胆は大変なものであったと思います。西郷や大久保もその中の一人であったと思います。

斉彬の後を受けて藩政の実権を握ったのは第12代藩主島津忠義(しまづただよし)の父で、斉彬の弟の島津久光(しまづひさみつ)でした。この久光によって今後は大久保が側近として藩政に大きく関わります。

(側近になる為に囲碁を覚えたという話があります)逆に西郷は斉彬派であった為、遠島(奄美大島、徳之島、沖永良部島)への島流しなどの不遇の時期になりました。

国父(藩主の父)としての久光は、兄の斉彬の政策や志を継承し、幕府や朝廷に積極的に関わろうとしています。その陰には大久保も居て、大久保自身も薩摩藩を代表して様々な人との人脈を広げていきます。

岩倉具視などの公家や桂小五郎(木戸孝允)や坂本龍馬などの各藩の志士達と交友を深めていきました。この時期に「薩摩の大久保」として名を世に知らしめたのだと思います。

ここからは私の大久保についての推察ですが、二人は大久保が「企画立案」し、西郷が「実行」する関係だったのではないかと思います。

二度の島流しの西郷を久光に懇願し呼び戻したのは大久保であり、大久保自身も実行力というか、周囲を纏めて実際に行動することが苦手だったのかも知れません。

もしかすると人付き合いも余り得意ではなかったのかも知れません。西郷を「太陽」に例えるならば、大久保は「月」。太陽である西郷が居たから敢えて、冷たく冷徹な人間に自分を演出していた節もあるかと思います。

実は大久保は子煩悩で、公務でどんなに忙しくても毎週土曜日の夕食を子供たちとだけでなく、妹たちと一緒に家族一同で摂ることを無上の喜びとしていたそうです。

この姿が本来の大久保であり、大久保自身は西南戦争の後に紀尾井坂で不平士族によって暗殺されるのですが、その際に生前の西郷からの手紙を持っていたほど、西郷を敬愛していたのだと思います。

この大久保の血がある大物政治家にも流れているのは皆さんもご存じかと思います。現在の財務大臣・麻生太郎元総理です。風貌もさることながら「冷徹非情」なイメージの大久保の面影は見えないですね。

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八幡太郎 (歴史ライター)

歴史が大好きで話し始めたら止まりません。 ここでは日本史ネタを気ままに綴っていきます。