皆さん、こんにちは。12月に入り、徐々に皆さんの日常も公私ともに年末、年越しに向けて慌ただしくなってきているのではないでしょうか。皆さんもご存じの通り12月は「師走」と呼ばれています。語源説は幾つかあって『師匠である僧がお経をあげるために東西を馳せる月』と解釈する「師馳す(しはす)」が有名です。その他にも、(1)「年が果てる月」を意味する「年果つ(としはつ)」、(2)「四季の果てる月」の「四極(しはつ)」、(3)「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」等の説があります。

さて、今回は昭和16年12月8日未明に帝国海軍が起こした『真珠湾攻撃』とその後の戦争に関わる人物のことを述べていきたいと思います。『真珠湾攻撃』は大日本帝国がアメリカ合衆国のハワイ州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、帝国海軍が行った航空機と潜航艇による奇襲攻撃です。この奇襲攻撃でアメリカ海軍は一時的に戦闘能力を喪失して、戦況は日本優位に進みました。

「ニイタカヤマ(新高山)ノボレ一二○八(ひとふたまるはち)」「トラ・トラ・トラ」という、この二つの有名な電文(電報)を皆さんも一度は聞いたことがあるかと思います。

「新高山」は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時日本の最高峰であり、「一二○八(ひとふたまるはち)」は12月8日のことで、「X日を12月8日(日本時間)と定める」の隠語でした。一方「トラ・トラ・トラ」は、「真珠湾奇襲攻撃」が成功したことを意味する「ワレ奇襲ニ成功セリ」というものでした。奇襲を受けたアメリカ軍は『Air Raid Pearl Harbor This Is No Drill !!!(真珠湾空襲、演習にあらず)』というこちらもアメリカ史上もっとも有名なものの一つとなった電報が打たれています。こういった電報が打たれた背景には日本軍が宣戦布告をして攻撃してくるのは、フィリピンであるとアメリカ国防総省は考えていた点と空襲を受けたその当日が日曜日であったからだったと思います。アメリカ軍の太平洋艦隊司令官のキンメルはこの日早朝からハワイ方面陸軍司令長官ショートとゴルフの予定であったようです。

 

先々月にお話ししました「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」で有名な「山本五十六」海軍元帥・連合艦隊司令長官を覚えていますか。海軍は基本的にアメリカとの戦争は反対であったこともお伝えしました。その理由はアメリカの工業力と資源力にありました。当時の日本は工業力も資源も他の欧米列強と比較すると明らかに劣っていて、短期間での大量生産は不可能で、一方アメリカは戦艦や戦闘機、潜水艦などの軍用機の生産といった軍需産業は技術・生産性はともに世界でもトップクラスを誇っていました。それは海軍省内部では共通認識であり、五十六自身も若い頃に駐米大使館付武官として、また海軍の中枢で中心的な役割をする海軍次官を歴任していて、アメリカについては誰よりも熟知していました。

その為、開戦となった場合については『それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい』と発言していました。一方でいざ宣戦布告となった場合を想定して、「真珠湾奇襲攻撃」の作戦立案を五十六は連合艦隊司令長官の時に部下の航空艦隊参謀長に依頼しています。この時の五十六の心中は今となっては誰にもわかりませんが、日本が負ける、本土が焦土と化すかもしれないと分かっている戦いを行わなければならない、その戦争に日本の将来を担う若者を危険な戦地に送り出さなければならない前線指揮官として苦渋の決断であり、その作戦が実行されないことを切に願っていたのではないでしょうか。

 

満州事変から始まる日中戦争、太平洋戦争と呼ばれる一連の戦争は、陸軍参報本部(又は関東軍)の強引に作られた既成事実によって昭和天皇や海軍軍令部が押し切られて始まったと思います。昭和天皇も最後までアメリカとの開戦には反対していたと言われています。何故なら天皇自身も皇太子時代にアメリカは訪問されていませんが、ヨーロッパ(イギリス・フランス・オランダ・イタリア・ベルギー)を歴訪して、列強の工業力や文化等に触れていました。実際にその現場を見てきた者ならば当たり前のことであり、これは現在でも全く同じことが言えると思います。現在では「陸軍参謀本部」や「大本営」は悪い意味で揶揄されるように使われています。

因みに当時のアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトは真珠湾奇襲攻撃の翌日、議会とアメリカ国民に向けて演説を行いました。「アメリカ合衆国にとって恥辱の日」とのフレーズのこの演説は、ルーズベルト本人が原稿を書きあげたもので、聴衆率(現在で言う視聴率)によればアメリカ国民6,000万人が聴いたというラジオ史上最も聴かれた演説となりました。内容としては、国民の奮起を促し、団結を呼びかけ、結果としてルーズベルトへの圧倒的な指示につながったものでした。ルーズベルトはアメリカ政治史上唯一4選された大統領となりました。

その後の戦況は皆さんもご存じの通り、戦線を広げ過ぎた結果として占領地域が「点」になってしまい、補給線を遮られ前線を助ける食料の補給や援軍などを送ることが出来なくなって幾つもの地域で玉砕を繰り返す悲惨なものになっていきました。南方の戦線はその最たるものでした。

戦争を知らない、経験していない世代が日本人口の大半となり、戦争の恐ろしさや悲惨さ、戦後に及ぼす影響などについて日本全体が忘れ、直視しないような風潮になりつつあります。これは決して良いことではないはずです。アメリカと中国の経済戦争から、第三次世界大戦が30年以内に勃発する可能性が高まっていると言われています。改めて歴史を振り返り、過去の過ちを反省し、未来を想像しなければならないのではないのかと思いますね。

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八幡太郎 (歴史ライター)

歴史が大好きで話し始めたら止まりません。 ここでは日本史ネタを気ままに綴っていきます。